イ・ビョンホン主演の「王になった男」という映画が韓国映画史上7回目の観客動員1千万人という記録を残しました。
大統領選を前にした時期だったので、民のための真の王を渇望する国民の願いが、観客1千万突破という神話を記録したのでしょう。
レッスンの内容
光海君と大韓民国の大統領
王になった男
映画「王になった男(韓国語のタイトル:光海)」は、国事を1日1日記録した「朝鮮王朝実録」から消えた15日間の記録を想像力によって再構成したフィクション時代劇です。
この時期は王が暴君と呼ばれていた頃で、王の毒殺を図る試みが何度もあった時期です。
暗殺企てによる怒りと恐れから暴君になりつつあった王は、王と瓜ふたつの「ハソン」という道化師を自分の代わりに危険にさらされる影武者とします。
しかし、神経質で乱暴だった光海(クァンヘ:王の2名)とは違い、温かみと人間味が感じられる変わった王の姿に、宮廷は少しずつざわめきだします。
光海という王
歴史の中で暴君として登場する光海君は、実は朝鮮王朝時代では他に見当たらないほどの優れた外交政策をとった王だったそうですよ。
朝鮮王朝の15代目の王だった光海君は、宣祖の2番目の息子として生まれます。
文禄・慶長の役(韓国語では壬辰倭乱:イムジンウェラン)が勃発するや、宣祖は光海君を皇太子として立て、臣下らと共に逃亡してしまいます。
光海君はこの時、複数の地域を探し回って軍隊と食糧を集め、敵を防ぐのに大きな功を立てて、民の支持を得ました。
戦いが終わって王位についた光海君は、軍力を強化し、一般の民にも理解しやすい医学書である東医宝鑑の編纂をします。
そして、日本で新しく権力の座についた徳川家康との活発な外交(通信使派遣)活動等を行ないました。
学問、技術、文化交流のための通信使
国の安定に尽力
しかし、文禄・慶長の役が終わり、光海君が国を安定させていた頃、中国では明の国力が落ち始めていました。
その隙に乗じて女真族が後金(フグム)という国を建て、明に宣戦布告をします。
すると、明は文禄・慶長の役の時、朝鮮を助けたという恩を強調し、助けを要請してきます。
朝鮮の大多数の臣下は、明のために軍を送るべきだとしたが、光海君の考えは違いました。
国が傾きつつある明を助ければ、後金によって朝鮮が再び戦争に巻き込まれる可能性があると考え、明の感情を害さず、一方で後金の不満を封じこめることのできる実利外交に力を注いだのです。
権力争いと歴史の真実
光海君の予想通り明は敗北、中立外交をとったことによって、朝鮮は更なる戦いの危機を回避することができました。
しかし、政権から疎外されていた西人(ソイン)と呼ばれる派閥の人々は「君主が恩を知らなくては、国が立ちゆかない」として光海君の中立外交に反対し、光海君を退位させて仁祖(インジョ)を新しい王に立てます。
光海君が宣祖の2番目の王妃である仁穆大妃を庶民へと身分を降格させ、腹違いの弟である永昌大君を殺したことをきっかけに臣下らは光海君を王位から追い落としたのです。
これによって光海君は朝鮮をもう一つの危機からは救ったが、以降の歴史の中で彼は優れた外交の専門家としてよりも暴君として登場するようになります。
過去と現在の韓国
17世紀の光海君と許筠、大同法、また中立外交という実際の歴史に基づいたこの映画はまさに21世紀の大韓民国の姿ではないかと思われます。
何が正しく、何が間違っているかを議論するのではなく、権力争いに埋没した政治、それによって疎外され、苦しむ民の生活は、400年後の今と大きく変わらないからです。
*大同法: 朝鮮時代、貢物を米に統一して納めさせた納税制度。土地の面積単位で税金を納めたため、地主の負担が重くなるため、反発が大きかった。
韓国語表現
《ほめる・祝う》
대단하네요. すごいですね。
일본어 잘 하시네요. 日本語お上手ですね。
아직 멀었어요. まだまだです。
잘 어울려요. お似合いです。
잘 했어요. よくできました。
축하합니다. おめでとうございます。