韓国の歴史

韓国を愛した日本人、浅川巧

韓国と日本、距離的にはとても近い2国です。残念なことに、歴史的な問題からか、何かとぎくしゃくしがちですね。

しかし歴史のなかでは、韓国の魅力に惹かれた日本人もいるのです。そんな人の生き様を紹介します。

韓国と日本の関係

いろいろな理由でぎくしゃくしがちなのが日韓関係です。

しかし政府間のいざこざはさておき、文化交流だけは持続的に続けていかなければならないという意見は双方の国で一致しているようです。

지리적으로는 가깝지만 심리적으로 먼나라 일본”(地理的には近いけれど心理的には遠い国日本)として、韓国のあるテレビ番組で取りあげていましたが日本人にも感慨深い言葉ではないでしょうか。

1910年から始まった日本の韓国強制併合の歴史

日本人としてはなかなか触れたくない歴史の1つでしょう。

浅川 巧

しかしその歴史の真っただ中で韓国人を愛し、韓国の文化や民芸工芸を愛し、また韓国人からも愛された日本人がいるという事実をご存知でしょうか。

彼の名前は浅川巧

1913年、朝鮮陶磁器の美しさに惹かれ、先に海を渡っていた兄である伯教を追いかけるように、山梨から朝鮮行を決意しました。

韓国の林業に従事

彼は1914年に朝鮮総督府の山林課に勤務します。

そこで日本人の朝鮮人に対するあからさまな蔑視差別を目の当たりにした巧は、人間として同等の友達になりたいと考えました。

朝鮮の民族衣装であるパジチョゴリを履き、朝鮮の家に住み、流ちょうな朝鮮語を操ったといいます。

また朝鮮の貧乏な人を助け、学生何人かに自分の懐から奨学金を与えたりもしたようです。

朝鮮で巧が従事したことは、当時乱伐や盗伐で荒廃していた禿山を緑の山々に変えること。

故郷で農林学校に通い営林署に勤めていた巧は、林業の調査研究を行います。

当時2年育てなければ良苗として成長しなかった韓国の松の木ですが、巧が考案した方法により1年に短縮することが可能となりました。

そしてこれは2011年韓国の人口林の37%に韓国の松が植わっているという成果につながっています。

工芸品の収集

また兄である伯教の朝鮮陶磁器の研究を手伝い、朝鮮で陽の目を見ることのなかった民芸工芸品をなけなしのお金で買い集め、朝鮮人のための美術館を建てようと奔走し実現するのです。

彼はこのようにして朝鮮人同様に生き抜きました。

韓国と日本の架け橋に

ところが、1931年無理がたたり肺炎のため40歳という若さで亡くなってしまいます。

自分は死んでも朝鮮にいるだろう。朝鮮式に埋めてくれ』と言い残した巧の言葉通り、お葬式はすべて朝鮮式に行われ、巧を慕う大勢の韓国人が棺を運ぶ役をかって出たといいます。

浅川巧の墓地にはこう記されています。

한국의 산과 민예를 사랑하고 한국인의 마음속에 살다 간 일본인, 여기 한국의 흙이 된다

韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に住んでいった日本人。ここ韓国の土になる。

語学を勉強するにはその国の時代背景歴史にも興味を持つといいかもしれません。そうすることで言葉に深みが出てくると思うからです。

浅川巧は2012年“道 白磁の人”という映画になりました。

韓国語で話すシーンも多いのでぜひ参考にしてみてください。

今回の韓国語での表現は、覚えられましたか?(韓国語を150%活用するために)

口に出して何度も読んでみると、脳にしっかり染み込むから覚えられますよ。

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